家系図調査体験記 第9回:現地での古文書調査

本日、夜行バスを利用しまして山形県某所にやってきました。

 今回の目的はアプローチCの古文書から手がかりを見つけることです。さて、6時到着と同時にここは暴風に見舞われました。とにかく寒い。高速バスや価格が安くていいのだが、到着が朝早いということもあって、開館するまで3時間くらい暇で暇でしょうがない。しかも天候は発達した低気圧の影響で暴風、大雪。とにかく寒すぎます。こういうときは、駅の待合室で暇つぶしです。とりあえず、帰りの電車時刻表を確認した後、仮眠をとる。結構暖かくて眠れるもので、1時間くらい寝ました。

 さて、本当は図書館まで2キロくらいなので歩こうかなと思いましたが、寒すぎてしょうがないのでバスで行くことにしました。

 図書館に到着して、郷土資料室に入ります。カウンターで、先祖調査をしていると事情を説明してくれると、関連する資料をさがしてくれます。たいてい、その地域の郷土に精通している方もいるので、いろいろと調べてくれたり、解説してくれたりしてくれました。

古文書
分限帳

 テーブルで面を向かい話しています。へたに、宗門人別帳や分限帳など要求するよりも、可能性のある資料から探してくれます。また、そういう精通している方は、昔の筆で書かれた崩し字をすらすら読めることもあって、格段に進みます。

 しかし、欠点をあえて言うなら、60台の方だったか、多少一方的に調べてくれるが話がかみ合わず、こちらがどういうアプローチ(路線)で調べているのか意図がわかりにくいこともありますが、そこは我慢です。いつかは役に立つかもしれないし、ここはとにかく、難しいことは飛ばして、結論を集中して聞くことと、資料を多くコピーしてもらうことです。

 さて、最初に紹介された書物は金禄です。これは、とうじ藩があった時代に、藩士がいくら給料をを貰っていて○○家、藩士になります。という記録です。ここに高々祖父の祖父の名前があり、ようやくここで除籍謄本を超えたご先祖様の名前を見つけることが出来ました。

 つまり高々祖父の祖父だから、自分自身を0代、父を1代前、祖父を2代前とすると。6代前までさかのぼることに成功しました。つまり、この方を初代とした場合、私自身が7代目ということになります。

 さて、ここから糸口を広げたいところでしたが、この時代のほかの名簿が乗っている資料はなく、書いていることも、名前、藩、給料くらいだったので、広げることは出来ませんでした。

 次に紹介してくれた資料は藩士の士族ということだったので分限帳を現存する全時代を見ました。自分と同じ苗字を探すと2件1600年代と1800年代にありました。しかも名前が同じだったのです。

 話を聞くと襲名ではないかと。この時代は名前を自由に変えることが出来たといいます。ですので200年もの時代の差はあってもその名前を襲名していた可能性が高いと言えます。もちろん、この分限帳と金禄にはつながりがありませんから、ご先祖様とは言えません。ですので、この方の名前は今後過去帳のアプローチから見つけることが出来たときに備えて参考資料とします。

 最後に山形県の歴史上の人物から自分と同じ苗字を調べて見ます。ここまでくると自分のご先祖様とはつながりがない可能性が高いのですが、一応同じ苗字なので概要だけでも調べてみることにします。その資料は山形県人物辞典と歴史書、これは軍記です。一応2人の同じ苗字の方がいました。その方は有名な最上家の中核くらいの方で、戦争のとき活躍したそうです。もう一人は戦争のときいろいろ提言を行っていたようです。

 まぁ歴史上の人物の調べは、これくらいにして、今後のアプローチに備えておきたいと思います。

 今後の目標は、新たにわかった6代先までのご先祖様が推測する寺院で埋葬され、過去帳に記録されているかどうかです。

 つまり、

 1.アプローチは過去帳路線が大きな鍵を握ります。

 そして、遠い親戚の中には古文書があるかどうかのお尋ねする2.遠い親戚からアプローチが全体の中で9割近い重要度を締めていると思います。

 いままで、過去帳は申し出がやりにくいため、避けてきましたが、やはり過去帳を避けては通れない状況にきました。過去帳路線は手紙の書き方、お付箋のマナーなどを学んだ上で2月をめどに手紙を送りたいと思います。

 そして、時間のあるときに歴史上の人物について調べてみようと思います。